「たまふる®」を体験された方にお話しを伺いました。

「たまふる®」に出会ったことで、仕事との向き合い方が変わった

井田ゆきえと申します。住まいのインテリアデザインを30年間やっています。会社に勤めている時間も長かったんですけど、ここ10年はフリーランスで個人の会社のお仕事をいただいたりとかしています。

仕事は実は、、、最近、楽しくなったんですよ。私は「経済活動を成り立たせなきゃいけない」っていう思いがあったので、フリーになってすぐのときは、「月何十万と稼がないと回らない!」とか。そんなことにとらわれてしまっていた。楽しいと言うよりは、必死に回すっていう、そんな時期もありますよね。でも、そういう気持ちが少しずつ離れていったんですよね。

酒井さんとの出会い

酒井さんが私に何かを感じた

「たまふる®」をやってらっしゃる酒井ゆきさんとは、以前に出会いがあったんです。朝活動でビジネスプレゼンをやっているグループに入ってるんですけど、その朝活のグループのつながりで、そこでちょっと知っているくらいの感じでした。

ある日、酒井さんの方が、朝、何かを私に感じた。何かというのは、「ブロックされている何かがあるんじゃないか」って感じられたって言うのかな?

朝活動でやっていたのは、ビジネスプレゼンをするんですけど「自分の人生がこうだったから仕事やっている」っていうように、ただ仕事のことを言うんじゃなくて、人生を語って、その中で、なんでその仕事をやっているのか?を伝えるっていう形で会話するんですよ。

たぶん人生で、何が自分を動かす原動力になっているか?って、私が自分では見えてないところ、本当はつかみきれてないのを、彼女はどこかで感じたんですよね。

それである日、酒井さんから声がかかったんですよ。「たまふる®」の話はしてなくて、そのときはサポートするから朝7時くらいに会いませんか?みたいな感じで。朝活動が大体7時からなんで、そのくらいの時間っていうのは他の仕事が入りにくい時間なんです。

何回か会って「会話でのサポートになるかもしれない」ってすごくありがたい申し出をいただいたんですよ。彼女と個人的に繋がる最初はそこだったんです。

プレゼンの練習でやっていたこと

プレゼンの練習っていうのは、いろんな仕事がある中で、私はこういう仕事をやってるんですよって語るだけだと、私に頼むいわれが分からないじゃないですか?たくさんのインテリアの仕事をする人がいますから。私に頼みたくなるいわれは、私がこういう人生の中でこういう思いがあるから、そこからこの仕事を選んだ。だから私はこの切り口でこの仕事を検討していますって語れば、より「そんなあなたにやってほしいです」って言ってもらえる会話になりますよね。

そういったことをやる中で、私が自分の思いの源泉っていうのが、どこから来ているのか?明確には確かめ切れていなかった。もがいていましたけど、それを酒井さんは敏感に感じて、もう一押しみたいな感じが会ったんでしょうね、きっと。

声をかけられてどんな印象だったか?

私はビジネスプレゼンで酒井さんがどんなことをしてるかっていうのを、間接的には触れたりするチャンスがありました。でも、なんでか彼女は私にそんな貴重な朝の時間を使って、エネルギーを与えてくれて、特にお金をとるでなく、何回か会ってくれた。仕事とかではなく、個人のボランティアみたいな。

4、5回くらい対談している間に、自分では見えなかった、いろんなところであれ?っていう、私としては気づききれなかった側面とか、切り口に気付ける機会をいただいたんですよね。

以前の私

個人事業主として、仕事の発展のために努力したい

以前はプレゼンをなんとか深めていこうと思っていましたけど、、、悩んでないんですよ。別に困ってもいないし。ただ自分の仕事の発展の為に、個人事業主ですから、努力したいなって思っていました。

でも、仕事で色々なことを言ってても「なんちゃって」みたいな気持ちなんですよ。こんなこと言ってもいいのかな?とか、ためらいながら「私はこんな事ができます!」って。「えい!」って言ってるんですね。

必死に生きなきゃ!みたいな。 自信がないように見せちゃいけないし、信頼してもらわないといけないし、わかりやすく伝えなきゃいけないし。わかりやすくやってたんですけど、なんとなく、腹の底からでてくるものじゃないなってことに私も感づいてたのかな。

悩んではいないけれど、、、違和感を持っていた、、、

仕事はやってるし、実績もあるし。事実を語れば嘘じゃないけど、言ってる自分が、これは本当かな?ぴったりではないというか。よくお見合いのときに自分の経歴とか資格とか趣味とか書くじゃないですか?でもそれを自分でみたときに、一個も嘘を付いてないんだけど、これって本当に自分かな?みたいな。これに「私の思いって出てないな」って。腹の底から直結した感覚で語ってない。

やっぱりどっかで理屈を言ってたりとかするんですよね。腹の底から突き動かされている感覚と、言ってる言葉が「ぴたっ」と一致している感覚を探っているのに、それに行き着けないでもがいていた。そんな感じです

仕事自体はうまくいっていた

30年間もやっている仕事なので、仕事のことに悩むとか適正が無いは思わないです。人にお願いされるのであれば、私は十二分に応えできるスキルも体験もあるし、それに関してはしっかりと志を持って会話をするのはできるんです。嘘ではない。だけどビジネスプレゼンっていうのは、「こういう思いだからこうだ」と語りたいんですよね。そこの根底が、、、なにかどっか腑に落ちていない。やれるからやっているけど、通用してお金もいただけてるけど、、、

酒井さんのはじめの印象

「え?何で私?何も見返りがないのに、、、」と疑問に思った

酒井さんに声をかけられたとき「え?何で私?」って思ったんですよ。いっぱい朝活動の仲間がいるじゃないですか。それでなんで貴重な時間もらっちゃっていいの?って。個人的にそれだけの早朝にお時間をいただくって大変なことなので、もしかしたら1回やった後で、次からは一回いくらでって思ってらっしゃったんじゃないか?

別に疑うではなくて、すごいエネルギーをかけていただいて申し訳ないなと思いつつ、いいのかな?こんな貴重な時間を分けてもらっていて?「私は彼女になんのお返しもするわけではないのに」って思いはありました。どうして、お金をチャージしないで、なんでこんな一生懸命、時間とエネルギーをつかってもらえるんだろうって。

最初は少しためらいました

結局、5回位は最低でもお時間もらった気がします。声をかけてもらって、ちょっとためらいつつも、じゃあ一回ちょっと会ってみようと思いました。どうして声をかけてもらったのか知りたい気もしたし、何を彼女がしようとしていたのか見たかったし、自分もそれにどういう反応をするか見たかったので。一回目のとき、これはいったいどういう意味でスタートしたのかな?みたいな狐につままれたような感じでいったんですよね。

ただひたすら会話をしたけど、普通とはちょっと違っていた

そのときにやったのは、ただひたすら会話。「そのときどう思ったの?」とか、「へーそうなんだ、じゃあこうかな?」っていうそんな平たい会話。だけど、ちっちゃい頃にこんなことがあって、そのときこんな思いをしたね、とか。

でもこれまでの人生で、散々いろんな会話を、色々な人としてたんだけど、彼女はちょっと違った角度の何かを見せてくれる切り口があったんですよね。

ある話をしたときに「なるほどな。自分はこの角度でしか見れてなかったけれども、そういう意味だったのか」って、その言葉の意味が変わった瞬間があったんですよ。

子供の頃のコンプレックス

子どもの頃にコンプレックスを自分が持つようなことって、全員あると思うんですね。あの瞬間こうだった、私はこうなんだって、私をきゅっと小さくした瞬間

私の場合は積極的でリーダーシップをとる1歳違いの姉がいるんです。ちっちゃいころの1歳の違いって大きい。同性で常に1年先に私がやること、常に1セットで人生が展開されていたんですね。その呪縛っていうのは当たり前な呪縛だったんですよ。本人はそれは嫌でも何でも無かった。

だけどあるとき、それが二番煎じのまねっこ人生、そういうのが私。みたいな規定をどっかでしていた。 「まだ私はその殻から出てない」って、ずっとずっと言う訳です。酒井さんに。私はずっと二番煎じの人生を脱却しようとして出てないんだって。

彼女が見せてくれる世界って、言葉の意味が逆転しちゃうみたい

そうすると彼女は「いや違うでしょ」ってあっさり言うんですよ。十分好きな事やって、本当は根底から「私はできるんだ」って叫んでるくせに、なんで?みたいなことをいうんですね。

「え、私そんなこと言ってないよ」って言っても、「あなたの人生は、常に私できるでしょって言ってるじゃない」って言われた。言葉で言ってるわけではないんだけど、それを表現してるじゃんっていうことを、ぎょっとするような気づきというか、、、

なるほど、私は常に何かやるとき、最後に「自信が無いから」って言う。そうすると「あなたほど“私は自信があるよ。私に任せてごらん”って言ってる人はいないよ」って、酒井さんは言ったんです。いや、無いですけど?と言っても、実際こうじゃない?って、ぎょっとするような声かけをしてくれた。

それは一つの例なんですけど、彼女が見せてくれる世界って、そんなんだったの?って、認めればそうなってしまうような言葉の意味が逆転しちゃうみたい

かっこ悪い、惨めなことも、許される空気

はっきり言って相当深い会話だったんですよね。いろんな人と深い話はしますけど、ぎょっとするほど 寄り添い力と表し力っていうかな?危険な人には語らないし、理解してくれないと思ったら言わなくなりますよね。

でも酒井さんが作るのは、平気で相当かっこわるい、惨めな事をぜんぶ語ることが許される空気。あとその事柄が彼女のフィルターで見せてくれる事が、かっこわるい事でも、何でも無いことに反転した状態で「こうじゃん?」って、ひゅっと意味がひっくり返る。初め抵抗してるんだけど「そうだな」って言った瞬間に、世界が違って見える、そんな感じ。

深い会話だけど、重さはあまり感じなくて、彼女は全然「ふーん」って聞いてるんですよ。「で?」っていう感じ。だからこうでねって自然と語るというか。

「あとは自分でできるよね」っていうところまで、あのときは面倒みてくれたと思います。5回、6回目くらいで終わったと思います。

「たまふる®」を体験してみた

「たまふる®」に誘われた

それで彼女は「たまふる®」のことを一回もおっしゃらなかったんですね。その対談のセッションが終わった後で、「多分これやってみたらその先行きそうな気がするんですけど、一回参加してみませんか?」って。少し経った頃に「たまふる®」のお誘いがあった。面倒を見てくれたときから、少し間があいてました。

あれだけ時間をかけてもらったから、一回どういうものか参加してみようと思って参加したんですね。私は何をやっているか知らずに。

正直、なにをやっているか分からない

でも、何やってるかも説明しないから、行くしかないじゃないですか?で、行っても何やっているかわからない。足裏を自分でマッサージしたりとかやってるんですね。私肩こり症なんですけど、これってからだ緩むかなって、それだけでもいいや、くらいの気持ちで行ったんです。

最後に振り返りの時間があるんです、どんな感じだった?って。「今晩は良く眠れそうです」とか、「これ肩こりに効きそうだね」「芯からほぐれた」とかそんな会話をして帰った。

肩こりが治ればいいや、くらいに思っていた

これって、少なくとも数回は継続した方がいいんじゃないか?みたいに感じました。続ける意思も無かったし、参加者になろうと思ったわけでもなく、ちょっとお試しで行ってみようかなって。で、何回かやっているうちに「1年のサイクルで「たまふる®」は、あなたのいるところから突き抜けるにはひとつの良い場かもしれないよ」と言われ、きちんと参加しました。最初は「肩こりが治ったら、めっけもんだな」くらいな程度で行ったんですよ。

“心のくせ”ってからだに影響があるとわかった

なんか心の癖ってからだの筋肉に影響があるじゃないですか。だから肩凝ってガチガチとかって、心の凝りだったりするんです。今思えば、相乗効果で、感情や考え方の凝りはほぐれたかなって。「たまふる®」に行ったら、「自分で自分のからだをマッサージできるって新しいね」とか言いながらやってて「今晩すぐ寝れそう、ラッキー!」くらいな感じで、からだの凝りをほぐしに行ってた、最初は。

継続しようと思わなかったのに、続けてしまった理由

「たまふる®」に参加するとき、全然不安はありませんでした。ただ継続して行こうとは思っていなかった。ちょっと体験してみて、凝りくらいなら初回で緩むから、マッサージ行く感じで「たまふる®」で凝りをほぐそうくらいの感じ。でも、自分で再現できない。このやり方は結構深いところ、ほぐれる気がするなとか、マスターしたら楽になるんだろうな、そしたら一回では自分では再現できないから、もうちょっと通った方がいいなくらいな感じ

こんなに自分をゆるめる方法があったんだ、とビックリした

初めて行ったとき、こんなに緩む方法があったんだっていうのはびっくりでした。彼女が声で誘導してくれるでしょ。自分であの声の感じとかできないんですよね。で、あの言い方されると眠気を誘うような、心地よい音色で彼女がリードしてくれるので、その気になって緩んだみたいな感じです

一生懸命生きる=力(りき)む

それまで、からだの凝りは相当、岩盤のようでした。それまでは、力みながら生きてるから。「一生懸命生きる=力む」みたいな。

凝っているのが当たり前の人生になってしまうと、折り合いがついちゃって「常に凝っているのよ」みたいな会話をしていました。凝っているのが私みたいな感じ。

もう私の気性とか人生そういうもんだって。なんか頑張ってるとか、踏ん張ってるとか、背伸びしてるとか。そういうもんだみたいに思っていたから、しょうがないなって。この凝りの癖も、ほどけるなんてことがあったらすごいんじゃないかなとは思いました。

「たまふる®」を続けてどうなったか?

からだの凝りがほぐせて、心の頑張りすぎるのが消えた

多分「たまふる®」のおかげなんですが、今は自分の凝りをほぐそうと思えばほぐせる。「岩盤のような凝りが私の人生」みたいなのはないです。それと「いつも頑張ってる」みたいなのが消えました

心の中で、頑張っていなきゃ人生が成り立たないっていうくらい、努力とか頑張るとか突っ張るとか背伸びするとかっていうのが、生きている事の証なんだとか、そういったものを、はらっと落とす事ができる。その自由が手に入った

無意識に何かと戦うとか、競うとか。無意識だけどそれが人生だって、どこかでからだと心が反応するっていうのをストップできたんですよね。

「たまふる®」経験前後の、人生の感じ方の変化

からだと心がストレスフリーな状態

私にとっての人生とは「こうだ!」と思っていた事、そういった囚われの前提が、ふーっと「出たいと思ったら出られるじゃん」っていう感覚を持てるようになった。なくなるってことはないんだけど、いいや私この感覚いらないからって出る事ができる。

一番大きいのは出られるっていうこと。外があるっていうことを知らないと出られないじゃないですか。 「そういうもんだ」っていうのがなくなるのではなくて、「たまふる®」はそれを緩めるっていう前提に一回行ける。「そういうもんだ」が無い状態。その感覚を思い出させてくれるんですよ。

普通は、無い状態っていうのをあまりに知らない、思い出せないので戻れないんですね。だけど「たまふる®」で、一回緩んだりとか、ストレスフリーな状態を垣間見る状態っていうのがあって。そういう状態があるのに気付ける。

緩んでるっていう状態を体験できないと、凝っていることを知らないと、凝りを解消できない。からだのゆるみと心のゆるみって同時なんですよね。両方が完全にフリーな状態っていうのを垣間見ている状態っていうのが起こるんですよね。その感覚って残っているから、日常で、ふっと思ったときに、あれに戻れば良いじゃん、あれが好きなんだもん、って戻れる基準を思い出せる。すごく大きい。

「10歳若返った」と言われた

最初は「このテクニック覚えたら自分で緩められるじゃん」っていうだけのすごさって思っていたんです。春夏秋冬でいうと「春」っていう段階。こんなふうにやるのかみたいな。やってることってアクロバットなことじゃないから、やり方は一通り見た気がしたんですよね。

でも夏っていう段階に入ったときに、突然「カー」っていう声を出すっていうか、「言ってみて」っていうのが始まったんですよ。「カーですか?」ってやってみたんですけど、カラスはのんきに鳴くから、のんきじゃないとダメだからって。

「なんのためにこんなことやってるんだろう」って思いながら、やっているうちに「あ!」っていう瞬間が来ちゃったんですよ。「カー」って言った瞬間にスコーンと抜けた感じが。「今抜けた感じしない?」って聞いたら、参加してた人に「10歳若返ったよ」っていうふうに言われて。その声がこの感じっていうのがあったんです。その瞬間に「これ私知ってるよ」っていう感じがあったんです。

理屈は言えないんだけど、自分が行けたなって感じがあったときに、周りも「あ!」って感じで。そのとき私の顔が10歳若返ったって、参加してた人が言ってくれて。私が抜けた感じのときに、オーラがキラキラってしたのかわかりませんけど、質がガラッと変わったんじゃないですか?そのときの私の喜びが出たんですよね、きっと。

日常生活で出てきた変化

経済的に低迷した時があって、今、仕事の量が3年前より半減してたんですよ。でも恐怖とか不安とかイライラとか全くない。必ずどうにかなるという安心、というか確信

「なんとか今月、回すために仕事とってこなきゃ」とか、昔は一個一個積み上げて考えてたんですよ。そのスパンが長くなったというか、時間の捉え方が。前は仕事をするというのは月の収支がきっちり会わなかったら赤、っていうことは許されないと思っていたんです。それが今は2、3年の単位でみたら回る。手放す感覚

今キュウキュウしなくても「やりくりができて、上手くいく」っていう感覚があるので、ストレスでがんじがらめになるとかはないです。昔は寝ているときでも、緩まない。内蔵がきゅっとしているとか、肩の筋肉がほぐれないとか、よくあったんです。表面は寝てても、神経は寝てないっていうか。

今はそういうことはなくて、物を見るときの捉え方がゆったりした。肩こりもなりにくくなるし。そうは言っても寒ければ、こわばらせたりするじゃないですか。あと日常でストレスがかかるときも無くはないんですが、緩められる。

以前は、仕事をしていないときは不安でした

今、すごく暇してるんですね。暇にしてるけど、やる瞬間、ぱっと手放して「はい、終わり」みたいにできる。前は仕事をしていないときでも、四六時中、「不安だ」「追っかけていかないといけないんじゃないか」ってなっていたから、今はエネルギーのロスがないです。仕事してないときはしてないときで、おいしいもの食べてたら「おいしいね」っていられるんです。昔は「こんなことしている場合じゃない!早く戻らないと行けない」とか意味の無いエネルギーロスをずっと人生でやり続けていました。

その間ずっと内蔵をぞうきん絞りするみたいに、ぎゅっと力んでたりとか、呼吸が常に詰まっている感じって常にあったんですね。それがない。今「あれが気になって仕事しなきゃ!」っていうことがないです。

「たまふる®」を薦めるなら

「たまふる®」を薦めたい人

人生楽しめてない人っていうか、やる事きっちりやってて、でも生きてるんだけど、底抜けに人生楽しんでいる感覚が無い人がぜひやってほしい。「人生楽しんでますか?」「当たり前じゃん!」って言う人、いっぱいいないような気がするんですよね。味わい尽くすとか、楽しみきるとか、そういう感覚って相当忘れてしまっている人が多い。自分もそうだったんですけど。

やっていることにパチッとはまって、味わい尽くせるんですよ。「たまふる®」やっていると。私はヨガに行ったり、瞑想している人間ではないけど、ヨガとか、瞑想とか、マインドフルネスとか、ちまたであるのは行きたいところの境地の一つだと思うんです。それを「たまふる®」は、わけの分からない気楽なことでやっている。

理屈だと頭で考えてしまう

禅でいうところの「今ここ」っていうじゃないですか。「今ここ」って言ってる時って、いまここにいないですよね。「今ここ」大事って言っている時って、「今ここ」にいられない状態だからそう考える。

「たまふる®」って理屈論を使わないで、感覚でなんとなくやっているようだけど、その状態にいるっていうか。理屈で言っちゃうと、右脳だ左脳だとか、いろんな言い方があると思いますけど、「たまふる®」って、その部分を通過しない。

酒井さんは、言語中枢がすごく発達したかたなんですよね。あることを的確に浮き上がらせるんです、 人の今いる状態とか。でも、それを分析的に理屈的に語る事が無くて、「こんな感じ」っていうところでフィードバックできる。だから受け手側も、理屈としての刺激をされませんから、理屈の部分を通過してないんですよね。酒井さんのフィードバックとかリードの仕方だと。

「たまふる®」は不思議な音色で導かれる

あと音色。声楽やった方の特性かと思いますけど、不思議な音色の音を出すんですよね、言葉で。あれを真似しようと思っても再現できないんです。酒井さんのその音色を聞くと、感覚の中でそういうふうになっちゃうんです。だから音魂っていうんですかね。

あとは歌って呼吸を司っていたり、コントロールしているだと思います。それでなんだろうな、心のあり方と声って、たぶん表裏一体なんですよね。酒井さんがこういうふうに、突き抜けた音を出す事でリードできるっていうのは、やっぱり声楽・ボイストレーニングっていう裏道があるから。なおかつ、その音魂が使える。

あとはイメージを喚起するんです。彼女はイメージ力もすごいんですよ。例えば、とろける感じってこうかな?って思うと、その音色とイメージで、ただからだを緩めようとするマッサージと違って、ほどけるみたいな。やってみないと分からないと思いますが。

「たまふる®」に似たものがない

「たまふる®」は、酒井ゆきさんの人格と表裏一体なんじゃないかな。彼女の人生を通して、深く掘った結果、行き着いた霊地の源泉みたいなものだと思うんですね。

ただ声楽だけでもできない。同時に音楽療法でたくさんの方たちの人生に触れて、そういう感受性と触れて彼女がつかんだもの。人に体する表明力というか。あとはお茶を深くやられているので、自然と対話するような。お茶って自然と対話しながら、世界を味わうとかだと思うので、そういうのを持っていたりとか。彼女の全体的な素養があって初めてできることですね。

自分へのギフト

「たまふる®」は、“何をするか?”というような次元のところではないんですね。体感して味わって、初めて「あ、これか」って。やることを説明しにくい。

もう一つは春の段階だけだと、私が今言ったような感覚はつかめないんですよ。春夏秋冬を通してちゃんと深まっていく感覚があるんですね。味わってみた上で、一通り体験してみるっていう、それくらいのギフトを自分にあげてもいいなじゃないかなって。月一回くらいの感じで、今私が言ったような効果は、私の場合はそう現れたけども、参加者の皆さんの人生で、その人のテーマにそって激烈なる結果を出している人がたくさんいらっしゃるんですね。いろんな効果の響きかたはその人のほしい結果のところに出ていますよね。

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