
「泣きたい。なんだか込み上げてくる。でも、これって何なんだろう?」
わたしの開催するワークショップに参加してくださる方から、ときどきこんな言葉を聞きます
そしてこれは、わたし自身も体験してきたことです
前回は、「泣きそう」と言いながら泣かない人の中で起きている「我慢」についてお話ししました
今回は、その我慢が積み重なった先のお話です
我慢は、腹の底でヘドロになる
ずっと自分の気持ちを吐き出さずに、ため込んできた人
我慢したことは1個や2個ではないし、昨日や今日のことでもありません
長い年月をかけて、我慢した思いはからだを下へ下へと落ちていき、腹の底に溜まっていきます
上から次々と落ちてくるものとグシュッと一体化して、ヘドロのように沈んでいく
あまりにも蓄積すると、もはやコンクリートのようにガッチガチになってしまう
わたしはそんなふうにイメージしています
だから「あの時のあれが」「こんな気持ちだった」なんて、わかりようがないんですよね
「どんな気持ちですか?」に答えられなかった日
わたしが鬱になったとき、カウンセラーさんに話を聞いてもらっていたことがあります
話しているうちに、じわっと涙が込み上げてきた
そのとき、「今、目がじわっとされてますけど、どんな気持ちなんですか?」と聞かれました
たしかに私は何かの感情には触れているんです
でも、言葉にはできない
言えないからこうなってるんじゃん、という感じでした
ひと塊になっているから、言えない
そう思ってもらえたらいいのかなと思います
込み上げてきたと気づけたら、それで十分
なんか込み上げてきている
そう気づけただけで、もう体のサインを受け取れているということです
ここが大事なんです
それが一体何なのか、今はわからなくていい
込み上げてくるということは、出したいということ
それが、体やたましいからのサインです
わたしは、病気もそうしたサインのひとつだと思っています
そろそろ気づいてほしい
立ち止まってほしい
そのサインを無視してさらに我慢してしまうと、体はもっと大げさなサインを出さなければならなくなります
だから、そうなる前に
込み上げてきた、泣きたい、という体の感覚を、ちゃんと受け止めてあげてほしいのです
出し始めると、塊はほどけていく
理由は探さなくていい
出し始めると、コンクリートだったものにちょっとずつヒビが入ります
石が小石に、小石が砂利に、砂利が砂のようにほどけていって、やがて「こんな気持ちだった」と自分で言えるようになってくる
そうやって出していくことで、自分がまた変化していくんですね
気持ちが悪いときは戻しますよね
食べたものは排泄するし、風邪をひいたら咳もくしゃみも出ます
出すというのは自然なことなんです
でも、我慢した気持ちは、残念ながらどこにも排出されません
霧のように消えてもいかない
わたしはそのことを、身をもって体験しました
だから、ためたものは早く出しちゃいましょう
固まっていても、出し始めればまた変わってきます
最近、理由もなく泣きたくなったこと、ありますか?
でも、泣き方がわからない人へ
「わかった、じゃあ出します」と思っても、なかなか泣けない
そもそも泣き方を忘れてしまった
そんな方もいらっしゃると思います
泣き方については、わたしがおすすめする「泣きやすい場所」
ポイントなどを
次の動画でお話しします
▶ 前回の動画:「泣きそう」って言って泣かないあなたへ
・・・
気楽にのぞくことのできる場所をつくりました
「はらっぱ」です(オープンチャット)
特別なことは何もありません
はらっぱですから
でも匿名でふらりと立ち寄ってみる
気が向いたらしゃべる
なんていう気楽さがあります
遊びにきてくださったらうれしい🌿
はらっぱをのぞいてみる

